岡田功の出身高校
岡田功 プロ野球選手
- 岡田功卒業高校
- 尼崎工業高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 4112位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
岡田功(おかだ いさお。旧名:和也(かずや)1931年6月20日~)は、昭和中期から平成期(1950年代~1990年代前半)のプロ野球選手、プロ野球審判員。元セントラル・リーグ審判副部長。兵庫県尼崎市出身で、尼崎工業高校→阪神タイガース 大阪タイガース(1952年~1955年)→1956年からセ・リーグ審判。セ・リーグ袖番号は7(1988年初採用から1992年引退まで、7は2004年以降西本欣司が番号変更により継承)。阪神時代の背番号は48(1950-1951年)、46(1952-1953年)、27(1954-1955年)。選手時代は外野手だったが、1956年に審判員へ転身。以後着実と力を発揮し、プロ野球審判員現役37年、一軍実働36年、13年連続日本シリーズ出場、日本シリーズ通算94試合出場、日本シリーズ通算21回出場、レギュラーシーズン通算3899試合出場という、いずれも今後破られそうにない日本記録を樹立、昭和プロ野球界を代表する審判員となり、1992年シーズン終了後に引退。その後セ・リーグ審判総務に勤務していたが、総務廃止と同じに退職。現在マスターズリーグで審判を務め、マスターズリーグ委員会審判部ルール委員長(事実上の審判部長といえる)も務めている。野球教室などでの審判指導も精力的に行っている。
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