小野正一の出身高校

小野正一 プロ野球選手

小野正一卒業高校
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性別
男性
生年月日
1933年9月30日生まれ

小野 正一(おの しょういち、1933年9月30日 - 2003年3月19日)は、昭和中期・後期(1950年代後半~1960年代)のプロ野球選手(投手)。福島県いわき市出身。左投げ左打ち。歴代11位(2006年8月27日現在)の通算2244奪三振を記録した、球史に名を残す速球投手。夫人は元大映女優の仁木多鶴子。福島県立磐城高等学校 磐城高校を卒業、社会人野球の常磐炭鉱、清峰伸銅でプレーしたのち、1956年千葉ロッテマリーンズ 毎日オリオンズに入団する。入団当初は一塁手も兼ねていたが、野口二郎コーチの目に留まり投手に専念する。2年目の1957年に26勝を挙げ、一躍エース格にのし上がる。制球の面でやや難があったものの、185cmの長身から振り下ろされる速球と大きなカーブで三振の山を築いていった。1960年には西本幸雄監督の意向によりリリーフを主体に起用され、最多勝利(33勝)、最優秀防御率(1.98)、最高勝率(.750)、最多完封勝利(5完封)の4冠に輝き、打の田宮謙次郎・山内一弘・榎本喜八らとともにリーグ優勝に貢献した。大毎はこの年、6月5日の対大阪近鉄バファローズ 近鉄戦から6月29日の同じく対近鉄戦までプロ野球記録の18連勝を成し遂げているが、小野はこの間15試合に登板して10勝をマークするなど、大車輪の活躍振りであった。

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