小窪哲也の出身高校
小窪哲也 プロ野球選手
- 小窪哲也卒業高校
- PL学園高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3428位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1985年4月12日生まれ
小窪 哲也(こくぼ てつや、1985年4月12日 - )は、奈良県葛城市出身の広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手)。
野球を始める前は水泳をやっていたが、交友関係を広げるために磐城小1年から「磐城デンジャーズ」で野球を始め「香芝ボーイズ」に移り、5年生で全国優勝。6年では日本代表として世界大会に出場。白鳳中(香芝ボーイズ中学部)では日本代表の4番・主将としてアジア大会に出場した。PL学園から青山学院大学に進学。小学校から大学まで全てのチームで主将を務めている。ポジションは、高校時は遊撃手、大学時は二塁手・遊撃手。
大学では東都大学リーグで4度のベストナインに選ばれた。2007年の春季リーグ戦では、打率3割7分3厘で首位打者のタイトルを獲得。リーグ通算95試合出場、344打数93安打、打率.270、7本塁打、39打点。第36回日米大学野球選手権大会では主将を務め、米国開催では初優勝となった。北京プレオリンピック野球日本代表にも1次登録されていた。
2007年11月19日、プロ野球の大学生・社会人ドラフトで、広島東洋カープに3巡目で指名された。指名挨拶を受けた翌日のスポーツ新聞ではプロでの目標である「2000本安打達成」と書いた色紙を片手にたい焼きを食べる写真が使われた。11月23日、推定契約金7500万円、年俸1200万円で仮契約し、入団。入団会見では大学の先輩、高須洋介のような勝負強い選手になることを目標に掲げた。背番号についてはルーキー時「12という番号は投手っぽくてあまりピンと来ませんね。将来は一桁か25番がいいですね」と述べており、2010年からは4番に変更された。
春季キャンプは一軍スタートが決まったものの、キャンプ直前の自主トレ期間中に広島名産の生ガキを食べ過ぎて体調を崩し、練習を数日間休む。キャンプには問題無く参加したが、2月中頃には二軍に降格。そのまま開幕一軍を逃したが、ウエスタン・リーグでは2番に定着して好調を維持。4月26日に一軍初昇格、同日の対横浜戦で8回に高橋建の代打としてプロ初出場し、送りバントを決めた。4月29日対巨人戦で8番遊撃手としてプロ入り初スタメンをはたし、2打席目で初安打を記録。3打席目で初打点をあげた。5月4日の対横浜戦では寺原隼人から決勝タイムリーを放ち、初のお立ち台に立っている。この試合の解説を務めた大下剛史は、「今までのカープに足りなかった内野手が現れた」と評した。初昇格後は二軍に降格することなくシーズン最後まで一軍に残った。梵英心の不調もあって遊撃手を守ることが多かったが、二塁手や学生時代はほとんど守らなかった三塁手もこなすなど活躍した。
ベテラン石井琢朗が加入し、キャンプから遊撃手のポジションは激戦区となるが、初の開幕一軍入りを果たす。しかし。首脳陣から復活の期待が大きかった梵や安定した守備力のある石井の影に隠れ、スタメンでの出場は少なく、代打でも結果を残せなかったこともありシーズン中盤には二軍落ちを経験する。8月には梵の二軍降格による入れ替え(この時小窪は由宇球場で二軍の試合に出場しており、突然の呼び出しで試合を早退した)によりスタメンで出場する機会が増え、打率は3割以上を保ち、2番を打つ試合が多くなる。終盤は相手先発投手の利き手にあわせて石井と併用された。最終的には前年と比べて出場機会は減る形となったが、打率や出塁率などは前年より向上しており打撃面では一定の成長を見せた。一方で遊撃の守備では20試合以上も出場試合が減ったのに前年と同じ6失策を記録するなどレギュラーへ向けての課題がより明確になったシーズンとなった。しかし、シーズン終盤になるとファインプレーをたびたび見せるなど課題の守備も向上した。
遊撃のポジションこそ梵に明け渡したが、ジャスティン・ヒューバーの不振から栗原健太が三塁から一塁に戻ったことで空いた三塁のレギュラーを任された。しかしシーズン序盤から打撃が不振を極め、守備でも打球の速い三塁の守備に苦戦し、63試合で10失策を記録した。調子が上がらないまま徐々に石井と併用され、また夏場には好調な岩本貴裕が一塁のレギュラーに定着したことで再び栗原の守備が三塁メインになったため、スタメン出場の機会を更に失うなど不本意なシーズンとなった。10月に台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれ主将を務めた。
開幕はベンチスタートであったが、6月に三塁手のチャド・トレーシーが離脱すると、石井琢朗と併用される形でサードスタメンの出場機会が与えられた。 しかし、7月に球団が補強した新外国人ブライアン・バーデンが三塁に定着したことで再び控えとなり、9月には右指の故障でチームから離脱することとなった。 打率や本塁打数は絶不調だった前年を上回ったが、出場試合数そのものは65試合と入団以来ワーストの数字となった。
開幕は一軍スタートだったが、この年は堂林翔太をシーズン通じて三塁手として起用するチーム方針もあり、なかなかアピールすることができなかった。 結局6月の下旬に打撃不振で登録抹消されると、代わりに昇格した菊池涼介が二塁手スタメンに定着したこともあり、一軍に復帰することはできなかった。 また、シーズン終盤の9月に肘を手術した。
自身初の開幕二軍スタート。 4月下旬に前田智徳が骨折、離脱したことで昇格。 打力を首脳陣に期待されて、ファーストスタメンやクリーンアップを任される試合もあったが、レギュラーを奪い返すまでの活躍はできず、6月に登録抹消。 7月に再び一軍に昇格し、9月には三塁手堂林翔太が骨折したことにより出場機会が増加した。 相手先発投手の左右によって木村昇吾とサードスタメンを併用される形となった。 小窪と木村は共に9〜10月間の打率.340をマークし、球団は史上初のクライマックスシリーズ出場を果たした。 また、クライマックスシリーズ第一ステージでは、代打で貴重な2点タイムリーを放ち、第二ステージ進出に貢献した。
2年ぶりに開幕を一軍で迎える。 左投手対策のサードスタメンのみならず、一塁手のブラッド・エルドレッドやキラ・カアイフエが不在の時にはファーストでスタメン出場するなど、ユーティリティープレイヤーとして活躍した。 また代打打率.389(代打で30打席以上立った選手の中ではリーグトップ)、代打打点15(高橋由伸に次ぐリーグ2位)の数字を残し、代打の切り札としても存在感を見せた。 スタメン出場は36試合に留まったが、チームを支える活躍で一度も登録を抹消されることなくシーズンを終えた。
前年に続き代打の切り札として起用された。先発出場は6試合に留まったものの、代打では5月2日の東京ヤクルトスワローズ戦で自身初の満塁ホームランを放つなど、50打数19安打・打率.380と2年連続で高打率を残した。全体では打率.296、本塁打1、打点15、出塁率.419、OPS.785の成績を残した。10月16日に、シーズン中に取得していた国内フリーエージェント権を行使せずに残留することを表明した。
「がんばれよ」 TEE (2012~) 「キング オブ 男!」[関ジャニ∞](2014~)
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