安藤順三の出身高校
安藤順三 プロ野球選手
- 安藤順三卒業高校
- 多治見工業高校 偏差値 岐阜県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3297位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1935年6月28日生まれ
安藤 順三(あんどう じゅんぞう、1935年6月28日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(捕手)。
多治見工業高校ではエースの梶本隆夫を擁し、1953年に岐阜大会を勝ち抜き、三岐大会決勝に進出するが津高に完封負け、甲子園出場を逸する。
1954年に東映フライヤーズへ入団。1959年には山本八郎の三塁手転向によって正捕手となり、初めて規定打席にも到達(25位、打率.184)する。山本は翌1960年に捕手へ復帰するが、1961年には一塁手に回る。再び正捕手となった安藤は同年から1963年まで3年連続でオールスターゲームに出場し、1962年のリーグ優勝・日本一にも貢献する。しかし1965年には白仁天・種茂雅之の成長もあって定位置を譲り、1970年限りで現役を引退。
現役時代は2回退場処分を受けている。
引退後は東映・日本ハムでコーチ(1971年, 1975年 - 1976年)、二軍監督(1989年 - 1990年)を務め、フロント入り。
現役時代のライバルであった野村克也とは同期であり、誕生日も一日違いである(野村は1935年6月29日生まれ)。
後に阪急ブレーブスの左のエースとなる梶本隆夫とは、中学・高校時代にバッテリーを組んでいた。梶本とは幼馴染であり、小学生のころの梶本は自分の実力に自信を持っていなかったが、安藤はこの頃からプロを意識していた。
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