唐沢俊一の出身高校
唐沢俊一 その他
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- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1958年5月22日生まれ
唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - )は、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。元朝日新聞書評委員。北海道札幌市出身。札幌光星高等学校、青山学院大学文学部教育学科卒業(英文科卒とする記述がある一方、教育学部に在学していたとする記述、文学部中退とする記述もある)。東北薬科大学薬学部中退。
サブカルチャー、カルトとされる文化や物件について幅広い関心を持つ。書籍・映像・音楽・雑貨など昭和期における事物を今日的視点からB級文化として紹介する事をライフワークとしている。また、オタク文化の評論家として、各種メディアでのコメンテーターや、日本オタク大賞といったイベントの審査員を務めている。
近年では落語会や舞台演劇などにも積極的に出演し、舞台俳優、カルト芸人とも称している。
と学会の発起人の一人で運営委員。
自称雑学王であり、フジテレビ『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』のスーパーバイザー。「トリビアの泉」の元ネタとなったのが唐沢の著作『トンデモ一行知識の世界』である。「世界一受けたい授業」(日本テレビ)の講師としても参加している。ラジオでは、「ブジオ!」(TBSラジオ)の金曜日パーソナリティを経て、冠番組「唐沢俊一のポケット」(TBSラジオ)のパーソナリティを務めていた。
漫画家の唐沢なをきは弟。妻は、同じく漫画家のソルボンヌK子(鹿野景子)。なをき・K子とは、いくつかの共著、もしくはイラストを任せた著書を出している。一時期(主に1990年代前半)はなをきと兄弟で著作する際に唐沢商会名義を用いていた。母方の伯父には、タレントの小野栄一がおり、小野が経営していた芸能プロダクションの経営を、引き継いでいたこともある。
小学生の頃から、雑誌の端に掲載させる「一行知識」が好きであり、トリビア愛好はその時以来の趣味だという。中学時代には星新一などのSF小説を好んで読み、友人とガリ版で同人誌を制作。
高校時代に『宇宙戦艦ヤマト』と出合い、札幌のファンサークルでヤマト再放送の嘆願書を送る活動などを行う、サークル活動に熱中するあまり大学受験をわざと一浪する。しかし、唐沢自身はヤマトのファンではなかったという。
大学生の時、海外アニメを観て感動し、アニメーター・なみきたかしが代表を務めるアニメ研究会「アニドウ」に入会、アニメ研究などを始める。同時期、本格的に名画座や古書店に通い出す。1980年12月に載った投稿から始まった、雑誌『ぴあ』投書欄の怪獣映画や『機動戦士ガンダム』についての論争の中心人物となり、論争は最終的に手塚治虫や富野由悠季などのアニメ関係者に意見を求める事態にまで発展し、1981年8月まで続く。
20代の期間に、本人曰くの「挫折」を味わい、薬局を経営していた実家の家業の関係もあって東北薬科大学へ再入学するが、その時期にイッセー尾形のスタッフにもなっており、多忙もあって中退。また「札幌への都落ち」も体験したという。 一部のプロフィールには1982年、大日本図書に入社するも1989年に退社とするものもあるが、1982年ごろに青山学院大学を去り東北薬科大学へ入学するもわずかな期間で中退、札幌の実家の薬局でコンピュータ・システム構築をしていたという唐沢俊一本人の弁と異なる。
1986年、劇団あぁルナティックシアターの結成に参加し、主宰者として企画から舞台出演もこなす。
1990年に、薬局の業界紙に掲載されていたコラムをまとめた単行本『ようこそ、カラサワ薬局へ』で単行本デビュー。1992年に創設された「と学会」がブームを起こしたことも追い風となったため、初期は「トンデモ」が付く著書名が多かった。以降、多数の著書、共著を発表。国内・海外、現在・過去問わず、B級文化全般を幅広く抑える、著作活動を行うようになる。
古本マニアであり、自身を含めた古本マニアの特殊な生態や、レアな古本の内容などを、面白おかしく書いた『古本マニア雑学ノート』シリーズは、唐沢の代表作の一つとなり、近年の若い世代の「古本ブーム」に大きな影響を与えた。 一般にB級と呼ばれる貸本ホラー漫画の復刻活動も、妻と共同で多数行っており、出版社から復刻を断られたものは、自費出版で復刻を続けている。ただし復刻の際に、その漫画の不自然な部分に手書きの「突っ込み文」を挿入する手法には、批判の声もあがっている。
かつて、自称2万冊あった蔵書は、現在は事務所移転などにともない重要とされる物を除くとロフトプラスワンで複数回開催された有料イベント「唐沢俊一の本あげます!」で処分され、残りは楽工社の倉庫に保管にされている。
1995年、と学会などで親交の深かった作家の岡田斗司夫・漫画家の眠田直とともに、おたく芸人ユニット「オタクアミーゴス」を結成。2007年、高層ビルや昭和歌謡曲のマニアとして知られる俳優の半田健人・脚本家の中野貴雄とともに、昭和ロマンについて語るイベント「昭和40年代を語る会」を結成(実際には結成予告のみで、2007年春に行われたプレイベントには半田健人は出席せず、7月に開催される予定だった結成式は行われずに話が流れている)。
また坂本頼光をプロデュースし舞台をともにするなど自らもカルト芸人を自認し活動している。
美食家として知られる。料理も得意であり、妻のK子が料理嫌いであることから、唐沢家では俊一が常に料理を行っている。
2010年2月27日、自身のホームページ上で1999年以来続けていた『裏モノ日記』を突如休止すると発表した。しかし、最近の日記に頻繁に書き込まれていた物故有名人への追悼文は、同ホームページのニュース欄同人誌のページで現在も続けられている。
2010年1月21日の『裏モノ日記』では、2010年中に書き下ろしの新刊本を4冊、古い企画を復活させた新刊を1冊出す予定であると発表し、『唐沢俊一のトンデモ都市伝説探偵団』を連載しているラジオライフ2009年12月掲載号のプロフィール欄では、2009年11月の時点でそのうち3冊の執筆が始まったことが記されているが、内容は不明である。また、同誌2010年5月号の同連載プロフィール欄では、「語り下ろし本2冊平行進行中」であり、よもやまはなこがイラスト兼テープ起こしをしていることが明かされている。一方で。2010年3月19日発売予定だった『本を捨てる!』(朝日新聞出版)は発売延期になり、フィギュア王に約5年にわたって連載された『唐沢俊一のトンデモクロペディア』は、No.145(2010年2月発売)掲載分を最後に突如連載が打ち切られるなど、日記の休止も併せて文筆業としての露出度は以前より減少している。
オタクアミーゴスのメンバーである岡田斗司夫と眠田直の他、と学会の会員でもある作家の山本弘やライターの植木不等式、イラストレーターの開田裕治らと親しい。
作家・漫画原作者の鶴岡法斎は弟子。共著として師弟対談集『ブンカザツロン』を出している他、各種トークイベントや『反日マンガの世界』などでも共に仕事をしている。
俳優の潮健児と親しく、潮の晩年は所属プロダクションの社長としてマネージャーの仕事も務めた。潮の伝記『星を喰った男』は、唐沢が発刊に協力し、バンダイにより出版された単行本の奥付には潮健児著とされた横に唐沢が「編・構成」として名を連ねている。単行本の表紙に唐沢の名は一切なかったが、潮が物故して数年後ハヤカワで文庫化された際には、書籍そのものが唐沢俊一の「編著」になっていた。また、本書の帯(推薦文)を俳優の池部良が書いているが、実は池部から依頼されて唐沢が執筆したという。
俳優・イッセー尾形のスタッフを務めていた時期もある。もともとはイッセーの舞台に客として来ていたが、イッセーの才能にほれ込み、メイン・ブレーンとして関わろうとしたが失敗。「若すぎたゆえの暴走」と、後にエッセイで後悔している。
作家の睦月影郎と親しく、イベントなどで多く共演している他、ソルボンヌK子なども加わって一緒に同人映画の制作なども行っている。
電波系鬼畜ライターの村崎百郎と、ウェブ上で「社会派くんがゆく!」という時事ネタをメインとした過激な内容の対談企画を行っており、その連載をまとめた単行本は2001年からアスペクトより定期的に刊行されている。2008年の時点で、単行本七冊となる長期連載になっている。
俳優・橋沢進一が主宰する劇団あぁルナティックシアターで、プロデュース公演を行っていたが、現在は唐沢プロデュースとして独立した活動を行っている。唐沢による初の長編小説『血で描く』の本文イラストには、劇に出演した歌手・女優の麻衣夢を、写真コラージュのモデルとして起用している。
評論家の東浩紀とは犬猿の仲。自分のウェブサイトの日記で激しい批判を長期にわたって続けていた他に、と学会の『トンデモ本の世界S』では東の代表作『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』を取り上げ、同書を「トンデモ本」として扱った。また、続編である『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』は、朝日新聞書評委員となってから書評欄にて取り上げ「剣豪小説のような、スカッとした読後感」という言葉で評している。 東自身は、唐沢からの発言について「かなり一方的」「いささか党派的な意図も感じられる」として、批判というよりも「悪口」であるとの見解を示している。
漫画評論家の伊藤剛を唐沢自身が請うてスタッフとするが、決別。その後、光文社「国際おたく大学」(編・岡田斗司夫)に唐沢が寄稿した文章に対し、伊藤が名誉棄損として訴訟を起こす。裁判は1999年7月23日に和解という形で終結。被告の、唐沢俊一とソルボンヌK子と岡田斗司夫の謝罪文はネット上に、光文社ほかによる連名の謝罪文は光文社『小説宝石』99年9月号に掲載された。
作家でありパリ人肉事件の元被疑者として知られる佐川一政とも過去に親交があり、唐沢と佐川が一緒に写っているパーティーの写真が、世界各地で起きた殺人事件を題材にした雑誌「週刊マーダー・ケースブック」に掲載された事もあった。しかし、佐川の書いた小説に対する唐沢の評がきっかけとなり、現在では絶縁状態が続いている。
映画評論家・翻訳家の柳下毅一郎は、自身の映画評論本『愛は死より冷たい―映画嫌いのための映画の本』に対する唐沢の感想に対して激怒、自身のウェブ日記にて激しい口調で批判した。唐沢は柳下からの批判に対する反論文の中で、以前に佐川一政と親交のある柳下が個人名を伏せた上で「佐川さんと喧嘩するような人は佐川さんとつきあう資格はない」とした発言について、その人物を「私のこと」として認識し、使用している。
落語家の立川談之助や快楽亭ブラックと親しい。 特にブラックとは懇意の仲で、互いの著書の中に何度も登場する。ブラックが解離性大動脈瘤で倒れた際は、救急車に乗って病院まで唐沢が付き添った。近年は談之助やブラック主催の落語会に客演として出演もしている。
2009年7月3日に逝去した友人の志水一夫の膨大な蔵書の管理を託される。
2007年6月、幻冬舎からの著作『新・UFO入門』の中の文章の一部が、インターネット上のあるブログからの無断転載ではないかとの疑惑が持ち上がった。ブログ主宰者から指摘されると、唐沢は自身のサイト上において、確かに参考にしており、当該ブログより多くのものを得たことを明示していなかったことは手落ちであると詫びたが、悪意や盗用の意思はなかったとも主張した。
後にブログ主宰者との交渉は唐沢から幻冬舎の法律担当に引き継がれたが、交渉経緯や謝罪文の公表をめぐって決裂したため正式な和解には至らず、唐沢は当該ブログの「内容とほぼ同一の文章を無断で掲載してしまった」との謝罪文をサイトに掲載したうえで、『新・UFO入門』の二刷において該当ブログより無断で掲載していた旨を記して刊行した。ただし、後者に関してブログ主宰者には一切の連絡がなかったという。
『新・UFO入門』においては他にも、新戸雅章の文章が無断で改竄のうえ使用されているのではないかと新戸本人などより指摘されているほか、他のウェブサイトからの盗用も指摘されている。なお、『新・UFO入門』は改訂後増刷はされず絶版となっており、唐沢が予告していた続編も発表されていない。
唐沢はその後、『社会派くんがゆく!復活編』において、この件は単なる「引用ミス」であるとしたうえ、ブログ主宰者側の過大な要求があったかのように主張し、批判されている。また村崎百郎は、唐沢との対談のなかで、「この件(引用者注:盗作)に関しては諸悪の根源が唐沢さんにある」と述べている。
この件がキッカケとなり他の書籍における文章盗用問題が取りざたされるようになり、2005年8月に発行した唐沢俊一著『唐沢先生の雑学授業』の中に、メルマガ知泉に書かれたアントニ・ガウディの雑学がほぼそのままの形で盗用されている事も指摘されている。それ以外にも知泉で書かれていた物が多く唐沢俊一の著書に流用されている事がその後の検証で発覚している。
たとえば、『唐沢俊一のトンデモ事件簿』や、雑誌『ラジオライフ』上での連載にも、ウェブサイトからの盗用が指摘されている。また『唐沢俊一のトンデモ事件簿』に関しては、アイルランド共和軍はアイルランド独立を目指す組織である(実際にはアイルランドはすでに独立しており、現在の目標は北アイルランドの統合である)、俳優ショーン・コネリーはアイルランド独立運動を支援しているためにサーの称号をもらえないでいる(実際には彼が支援しているのはスコットランド独立運動であり、しかも2000年にナイトの称号を授与されている)、といった間違った記述があることも指摘されており、唐沢の雑学知識を疑問視する意見もある。
これらの検証サイトに反応する形で、京都大学の安岡孝一准教授やミステリ作家藤岡真など出版業界と深く関係を持つ人々のブログなどでも同様の問題が指摘されている。また映画評論家町山智浩はブログで唐沢のプロフェッショナルとしての資質を厳しく問うて非難している。ライターの松永英明は、資料を読み込み自分の文章でまとめる、あるいは出典を明記するといったことを怠り盗用を繰り返すことに対して、「文章を扱う者としての意識に根本的な問題がある」と批判している。
唐沢が運営委員を務めると学会の山本弘会長は、2008年10月1日に、この問題について長文のエントリーで発言すると自らのブログのコメント欄で発表したものの、何の処分も行われないまま、2014年に山本自身がと学会の会長の辞任と同会の脱退を発表している。
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