中河与一の出身高校

中河与一 作家

中河与一卒業高校
丸亀高校 偏差値 香川県高校偏差値ランキング
作家ランキング
262位 / 702人中 作家別偏差値ランキング
性別
男性

中河与一 (なかがわ よいち, 1897年2月28日 - 1994年12月12日) は、香川県生まれの小説家・歌人である。横光利一、川端康成と共に、新感覚派として活躍した。正字で中河與一と表記される場合もある。中河哀秋という筆名も持つ。

坂出町(現在の坂出市)にて、代々の医家の長男として生まれる。家業を継ぐことを嫌って文学に傾倒し、丸亀中学校(現在の香川県立丸亀高等学校)在学中には『香川新報』(現在の『四国新聞』)の懸賞小説に一等入選。

1919年、早稲田大学予科文学部入学。1920年、同郷の紙問屋の娘で津田英学塾(現在の津田塾大学)の学生だった林幹子と結婚した。後年、幹子は歌人として立ち、歌誌「をだまき」を主宰して高瀬一誌や蒔田さくら子を育てたほか、共立女子大学教授も務めた。

早稲田大学英文科在学中、雑誌「新公論」に発表した『悩ましき妄想』(のちに『赤い復讐』と改題)で文壇デビュー(のち大学は中退)。1922(大正11)年、歌集『光る波』を刊行。菊池寛主宰の「文藝春秋」の編集同人、『文藝時代』の同人に加わり、『刺繍せられた野菜』『氷る舞踏場』など、新感覚派の作品群を残す。1936(昭和11)年に完結した『愛恋無限』で、透谷文学賞を受賞。

戦時下は民族主義に傾いた。

代表作に『天の夕顔』『失楽の庭』『探美の夜』『古都幻想』など。なかでも1938年(昭和13)に発表された『天の夕顔』はゲーテの『若きウェルテルの悩み』に比較される浪漫主義文学の名作として各国語訳され、西欧諸国でも高い評価を獲得。戦後、英語、フランス語、ドイツ語、中国語など6か国語に翻訳され、アルベール・カミュから激賞された。

85歳の時、門下の老女から強姦未遂で訴えられたが、民事裁判の結果、老女側が名誉毀損で中河に賠償金を支払うこととなった。

息子の中河原理は音楽評論家。娘は若い頃、大学生時代の星親一(星新一)と恋愛関係にあったが、星がブルーフィルム上映に関わるスキャンダルを起こしたために別れた。

太平洋戦争中の中河の行動については長年黒い噂が囁かれ、そのために戦後の中河は文壇的孤立を余儀なくされた。その噂の内容は、中河が戦時中、左翼的文学者のブラックリストを警察に提出して言論弾圧に手を貸したというものだった。

これに対して中河の門人の森下節は、この噂は平野謙や中島健蔵が意図的に流したデマに過ぎなかったとの調査結果を発表している。森下によると、平野や中島がこのデマを流したのは、中河に濡れ衣を着せることによって自分たちの戦争協力行為を隠蔽するためだったという。

中河の代表作『天の夕顔』は、不二樹浩三郎という按摩の身の上話に基づく作品だったため、不二樹は中河に対してこの作品を自分との共著とすることを要求した。しかし中河は「話をしてくれただけで、それがあなたに何の関係があるのですか。法廷へ出ても何処へ出ても」とこの要求を退けると共に、主人公のモデルの実名公表を拒み続けたため、不二樹との間に深刻な確執が生じた。不二樹から中河に脅迫状が届き、その直後に中河家の愛犬が不審な死を遂げたこともある。一連の経緯について中河が警視庁成城警察署に相談したものの、刑事事件には発展しなかった。一方、不二樹の側でも中河を訴えようとしたが弁護士費用の問題からこれを果たせず、その代わり『名作「天の夕顔」粉砕の快挙──小説味読精読の規範書』(1976年)と題する書物を自費出版してこの作品が中河の創造力の所産ではないことを世に訴え続けた。不二樹は1990年に93歳で死去した。

作家偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

作家偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング