三村勲の出身高校
三村勲 プロ野球選手
- 三村勲卒業高校
- 福岡市立福翔高校 偏差値 福岡県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1429位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1924年3月8日生まれ
三村 勲(みむら いさお、1924年3月8日 - 2010年3月17日)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)。1955年の登録名は三村 勇夫。
飯塚商業専修学校(現:飯塚商業高等学校)から専修大学へ進み、八幡製鐵所を経て、1946年に中部日本軍(現:中日ドラゴンズ)に入団。1948年に球団代表の赤嶺昌志が辞任。赤嶺の事を慕っていた三村はのちに共に行動をする事になる金山次郎、小鶴誠らと共に赤嶺の後を追って急映フライヤーズに移籍する。この年に新田恭一コーチと出会い、のちに小鶴が有名となるゴルフスイング打法を教わった。
1949年に金山、小鶴と共に大映スターズに移籍。この年に教わった打法が開花し、1割台だった打率も.297と成績を上げ、二桁本塁打も記録した。1950年に2リーグ制となったこの年は松竹ロビンスに参加。共に行動してきた金山が1番、三村が2番、小鶴が3番となり、水爆打線の一角として活躍し、圧倒的な強さでセ・リーグ優勝となった。この年の三村は2番ながら犠打数は0だった。
1953年に再び三人一緒に広島カープに移籍。しかし、広島では松竹時代に痛めた左膝の怪我に泣き出場試合数も減った。1955年に現役を引退した。
2010年3月17日、肝細胞癌のため死去。満86歳没。
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