三ツ矢雄二の出身高校

三ツ矢雄二 タレント

三ツ矢雄二卒業高校
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性別
男性
生年月日
1954年10月18日生まれ
血液型
A型

三ツ矢 雄二(みつや ゆうじ、1954年10月18日 - )は、日本の声優、俳優、音響監督、ナレーターであり、タレント。2009年1月19日、事務所「コンビネーション」を日髙のり子と共に設立。愛知県豊橋市出身。愛知高等学校、明治大学第二文学部卒業。

子役時代から含めて40年以上のキャリアを持つ。

声優としては、オネエ言葉を喋るキャラクターを得意としているが、他にも真面目なキャラクターから間抜けたキャラクターまで、年齢を問わない様々な役を演じている。『魔物ハンター妖子』や『ナースエンジェルりりかSOS』では、男性でありながらヒロインの祖母役を演じた。

演劇でも舞台版『ミュージカル水色時代』『ミュージカル少女革命ウテナ』などの脚本・演出、『ミュージカル テニスの王子様』などの脚本・作詞を行うなど、演出家・脚本家・作詞家としても活動している。本人曰く「まさかの時の三ツ矢頼み」という言葉もできたほどだという。

また、声優ユニットバンド「スラップスティック」の初代キーボード担当として、数々のレコードをリリースし、TVやライブなどで活躍した。

かつては大橋巨泉事務所、青二プロダクション、ぷろだくしょんバオバブ、ラブライブ、ブリングアップに所属していた。

10歳で中部日本放送で放送されていた素人ちびっ子のど自慢番組『どんぐり音楽会』に出場し、優勝。これをきっかけとしてテレビ業界に興味を持つようになり、中学校入学と同時に巣山プロダクションに入所。子役としてのデビューは、『名探偵カッチン』のエキストラ。翌年、その後番組である『海から来た平太』のオーディションを受け、主役として合格。

その後は、地元名古屋だけでなく関西にも進出し、関西テレビや関西地区のNHK、京都の撮影所等でも仕事をこなすようになる。またNHK名古屋で制作されていた『中学生群像』(『中学生日記』の前身)に出演し、全国放送にも登場するようになった。自ら「腐れ縁」と称する戸田恵子や竹下景子との付き合いはこの頃からである。

高校卒業後、専門学校に入学し上京して大人の役者を目指すも途端にオーディションに通らなくなった。その理由について三ツ矢は身長が158センチしかなかったことを理由に挙げている。演出・脚本等の基礎を学びながらアルバイト生活を送る中、話を受けて人形劇『プルルくん』に出演。これが、声のみでは初の仕事となった。また、俳優としても刑事ドラマ・時代劇等に出演するようになった。

専門学校卒業後には、明治大学第二文学部に合格し、大学生となった。その後『プルルくん』最終回後の打ち上げにおいて、永井一郎に勧められたことがきっかけとなり、アニメ『超電磁ロボ コン・バトラーV』のオーディションに参加(詳細は後述)。結果主役に抜擢され、以後声優としてのキャリアを積み重ねていくこととなった。

仕事が順調に増え、1984年には声優仲間を集めてミュージカル劇団を設立するが、赤字がかさんで1990年には無一文になってしまう。その際、養成学校の講師と演劇雑誌の編集長の話を持ちかけられる。三ツ矢にとってどちらも経験のない分野だったが、それを引き受け翌91年より養成に携わる。1997年には養成所「ミツヤプロジェクト」と劇団「アルターエゴ」を結成。

声優活動、ディズニー作品等の吹替え等に出演する一方、声優育成のための後進指導を行う。『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』で初めて音響監督を担当して以降、スタッフ業にも進出(音響監督業では、録音演出またはアフレコ演出の肩書きも持つ)。

2011年10月に、テレビ番組『お願い!ランキング』の声優特集に顔出し出演して以降、民放各局のバラエティ番組にゲスト出演することが増えている。

2013年、第7回声優アワード「富山敬賞」を受賞。

『プルルくん』への参加は、子役時代に世話になっていたNHKのディレクターに出会ったことがきっかけだった。その後『プルルくん』の最終日の打ち上げで永井一郎から『超電磁ロボ コン・バトラーV』のオーディションを勧められ、オーディションの結果、当時新人にもかかわらず主役(葵豹馬役)に抜擢された。

当時、映画やテレビでもアフレコを経験していた三ツ矢だが、声優の仕事自体はしたことがなかったため、関係者から「『宇宙戦艦ヤマト』のスタジオを見てこい」と言われ、勉強のためにスタジオへ見学しに行った。

同番組終了後、『キャンディ・キャンディ』、『超人戦隊バラタック』に出演。以後、本格的に声優業を行うようになっていった。

最初に東京に出てきたときにあまりに芸能界が乱れていたことに驚いたが、その後声優界に入って最初に親切にしてくれたのは同い年の井上和彦だった(学年は井上のほうが上)。井上に出会わなければ東京を去っていたかもしれないとも語っており、「同い年だが心の中ではお兄さんだと思っている」「こんな良い世界なら声優の世界に入ってみよう」とも語っている。

また一つ年下の水島裕も加えてデビュー当時は「三人若手衆」「ヤングライオン」と呼ばれており、二人は三ツ矢にとっての「戦友」といった存在だと言う。

『六神合体ゴッドマーズ』では、主人公・明神タケル=マーズ役とストーリーの途中で死亡することが当初から決まっていた兄・マーグ役両方のオーディションを受けていた。三ツ矢は「兄貴の方が早く死ぬらしいぞ」と言う噂を聞いており、ディレクターやプロデューサーから「狙うなら(長く出演できる)弟を狙え」と薦められたが、結局両方受けることになった。選考の結果マーズは水島裕に決まり、三ツ矢はマーグ役に決定したが、放送が開始されるとマーグは予想以上の人気を博し、女性を中心に多数のファンが付いた。

作中でマーグは死亡し、その後ファンが行ったマーグの葬式では、喪服を着て出席した。この人気を受けて、マーグの魂が弟をサポートする形で復活、最終回のEDで『十七歳の伝説』の歌唱を担当し、ヒット賞を受賞し表彰された。さらに、マーグを主人公とした劇場版やOVAも製作される。後年になっても、CS放送などで再放送される際には三ツ矢がマーグとして番組予告を行っていることがある。

これらの経緯から、三ツ矢は「結果的にはマーズ役に落ちて良かった」、「ゴッドマーズは棚ぼた仕事だった、人気があれば役が復活するんだ」とも語っている。

『キテレツ大百科』では、トンガリ役を担当する事になる。三ツ矢はこの際、「トンガリは脇役だが、インパクトの強いキャラクターにすれば、出番が増えるかもしれない」と考え、徐々に甲高い声での独特の言い回しや叫びを多用。この演技を見た音響監督の小松亘弘からは、「無理をしなくていい」と言われたこともあったという。

結果的にトンガリは8年間の放送の中で、1話分を除くほとんどのエピソードに登場することとなった。

喉を痛めて入院した際、消灯時間後に三ツ矢の病室を訪れた看護師数人から、「トンガリの声を出してほしい」と依頼されたことがあったという。この際、三ツ矢は深夜にもかかわらず要望に応えたと語っている。なおこのトンガリの特徴は『ONE PIECE』のピーカでも生かされている。

『タッチ』では、「弟(上杉和也)の方が死ぬぞ」と言う噂を聞き、長生きする兄・上杉達也のオーディションを受けた。当時の三ツ矢は、『さすがの猿飛』の猿飛肉丸など、三枚目や人間以外の役を多く演じていたため、二枚目の上杉達也役ということで、プロデューサーが気を使ってくれたらしく、覆面オーディション形式で行われ、名前ではなく番号のみで呼ばれていた。プロデューサーとディレクターから「絶対兄さんの方が、役的に複雑だから勉強になるから、絶対オーディション頑張れよ」と陰で言って貰い、結果合格した。『タッチ』は最高視聴率31.9%を記録するほどの大ヒットアニメとなり、三ツ矢の最大のあたり役となった。

弟・上杉和也役に受かった難波圭一に対して、「死んじゃってもね、人気があってファンが騒ぐとね、生まれ変わるよ(上記のマーグ人気のこと)」と言ったが、結局生き返らず、難波から「なんだ、生き返らなかったじゃないですか」と言われ、「SFと現実物とは違うね」と謝った。

浅倉南が高架下で泣いているシーンにおいて、音声を入れずBGMを流すという演出がなされ、居合わせていた達也の台詞も無かったが、監督から「三ツ矢くん、心の中では号泣しているんだけど、でも聞こえてくる声は、泣いてなくて渇いてるんだよね」とダメ出しされたことがある。

上杉達也は自身と正反対の役で格闘・苦労したと同時に、やり易かったとも述べている。

また、共演者で浅倉南役の日高のり子や松平孝太郎役の林家こぶ平(後の9代目林家正蔵)に対し、厳しい演技指導を行っていた。

『タッチ』で主演したことから、放送から暫くは高校野球のレポーターなど、野球関連の番組に出演する機会も多かった。しかし元々三ツ矢本人は、基本的なルールやポジション名を知らないほど野球を知らなかったため、呼ばれる度に現場での反応に困っていたという。

子供の頃から、子役をやっていたため野球を知らず、父親は野球好きだったが無口だったため、また他の兄弟もお互いに干渉しなかったため、教えてくれなかったと語っている。

また三ツ矢以上に野球番組への出演機会があった日高のり子は、よく「三ツ矢と野球の繋がり」を聞かれ、その度どう言うべきか悩んだという。

演劇関連で、知人関係にあった松田誠が社長を務める演劇プロデュース会社「ネルケプランニング」(以下ネルケ)がアニメ作品のキャスティング業に進出するとそれに協力。かつて講師を務めていた代々木アニメーション学院の教え子をネルケと繋がりのあるプロダクションへ斡旋した。

以降、アニメ業界への関わりはネルケ中心へとシフトしていき、ネルケ関連の事務所へ2009年に自らの事務所を設立するまで在籍。日本俳優連合(日俳連)の組合員である立場とは反対に、ネルケと対立する組合側組織とは徐々に疎遠になっていった。

声優としての活動以外にも、音響監督(アフレコ演出)として裏方の活動も行っている。

初めて音響監督を担当した作品は『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』である。主人公の緋村剣心を演じる涼風真世が宝塚歌劇団出身のため、宝塚の演技とアニメの演技の合体を上手く演出してくれる人と言うことで、舞台とアニメを知っている三ツ矢が音響監督をやるよう頼まれた。最初3ヶ月間は慣れるまで自分の名前を出さずに、音響監督に従事していた。3ヶ月後、プロデューサーが「三ツ矢さんが慣れたと思うのでチェンジします」と涼風に伝えると、「三ツ矢さんじゃないとできない」と言ったため、音響監督を続投となり、アニメ制作がスタジオぎゃろっぷからスタジオディーンに交代となったのを境に名前も出るようになった。

出演者が登場人物の演技に詰まった場合、自身で手本を見せて、具体的に指摘するというアフレコ演出としての指導も行っている。その後、音響監督本来の仕事が忙しくなったため、声優が出演しているものは演出しなくてもいいと考えるようになり、特殊なもの以外は全て降板した。子役が出演している『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』のみは担当していた。

※太字は主役・メインキャラクター。

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