レツゴーじゅんの出身高校
レツゴーじゅん タレント
- レツゴーじゅん卒業高校
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- タレントランキング
- 605位 / 2233人中 タレント別偏差値ランキング
- 生年月日
- 1940年8月11日生まれ
レツゴー三匹(れつごーさんびき、1968年 - )は、和光プロダクション → 松竹芸能(じゅんのみオフィスのいり所属)所属の漫才トリオ。タイヘイ一門の総領格だが、永らく半休止状態にある。
トリオ名の由来は、名古屋の焼き鳥屋「三匹」であった。それだけではインパクトがないので「レツゴー」を付けた。
「レッツゴー三匹」との誤記が散見されるが、正しくは「レツゴー」。正児のホームページ(外部リンク参照)に「レツゴー」とした理由が書かれている。
実兄のルーキー新一が主宰する『ルーキー爆笑劇団』の座員だった正児が、同劇団の活動停止に伴い、吉本新喜劇の同僚のじゅん、一修と共にタイヘイ一門に移り、トリオ漫才『レツゴー三匹』を旗揚げ。一修が1年で抜け、コミックバンド『あひる艦隊』から長作が入れ替わりに加入し、現在のメンバーとなる。
千日劇場で活動開始、同劇場閉鎖後は和光プロダクションを経て松竹芸能に移籍し、道頓堀角座をホームグラウンドに活躍。
また、ビクターレコードより「新地ワルツ」などの歌謡曲を発売したこともある。
1970年にスタートしたNHK上方漫才コンテストの第1回優秀敢闘賞を獲得し、上方漫才大賞では1971年に新人賞、2年後の1973年には早くも大賞を獲得。1979年には上方お笑い大賞の金賞(大賞に次ぐクラス)を受賞した。
当時唯一の弟子だった太平サブロー・シローが、ライバル吉本興業制作の『ヤングおー!おー!』(毎日放送)への出演を熱望したため、松竹芸能幹部の眼前で2人を叱責する芝居を打ち、周囲が破門を容認せざるを得なくなる形で円満移籍させてやったり、長期に亙る低迷で弟子の面倒を見切れなくなった横山たかし・ひろしから幸助・福助を引き受けてやるなど、人情噺的な逸話がある。
山城新伍に気に入られ、1980年代にテレビ朝日系で放送された山城司会の『笑アップ歌謡大作戦』にレギュラー出演し、知名度を上げた。またじゅんは1991年から1992年まで毎日放送制作・TBS系全国ネットで日曜午後1時から放送されていた『新伍Niタッチ!』にもピンでレギュラー出演した。
オリジナルメンバーの正児・じゅんの2人と、後から加入した長作の間に溝があると言われ、またワリの問題(トリオだからと言って通常ギャラが3倍にはならない)もあり、正式に解散した訳ではないものの、1990年代以降はトリオ漫才を殆ど休止し、各々がピンで活動している。因みに休止してから一度、同じ事務所の後輩シンデレラエキスプレスの2人を交えて5人で酒の席を設けたことがある。
長らく二代目桂春蝶と友人であったために2009年8月の大阪松竹座で行なわれた二代目春蝶の実子・春菜改め三代目桂春蝶の襲名披露公演に口上と漫才で参加した。なお舞台(テレビも含めて)で3人が揃ったのは数年ぶりであった。
2014年に別項で述べたとおりじゅんが逝去。また、正児はじゅんの逝去と同時期に加齢による認知症を発症し、夫人の介護のもと治療とリハビリを行っている。
「じゅんで~~す!」「長作で~~す!」と順に名乗り、最後に正児が似ていない物真似で「三波春夫でございます」と仰々しく自己紹介した所を、じゅんと長作の両方から頬をドツかれ、その結果正児のメガネがズレる、というツカミのネタが有名。このツカミが有名過ぎる為、じゅんと長作の名前は思い出せても、正児の名前が思い出せない(「三波春夫」と言ってしまう)、といった事が少なくない。ちなみに、2002年にフジテレビで放送されたバッテンクイズヘキサゴンで「丸の内OL回答率0%。漫才トリオレツゴー三匹、じゅんと長作ともう一人は誰?」の問題で解答者5名中3名が三波春夫と解答した。
正児のネタ振りに長作は巧く対応出来るが、じゅんがボケて正児にドツかれ、窮したじゅんが「ルーキーに貸した金返せ」と反撃するパターンが多い。「アップダウンクイズ」ネタの他、じゅんのハゲネタ(禿げ上がったじゅんの額をからかうネタ)や、じゅんのギャグ「コーレーカーラハー」(外国人による片言日本語のパロディー)などがある。
先述のツカミはリーダーの正児が受け持つが、本来はじゅんがボケ役で、正児がこれをツッコミながら進行する事が多い。長作は専らネタ振り役である。ネタの内容により正児とじゅんが交互にボケる事もあるが、いずれも長作が纏めて、あるいは突っ込んで収拾する。
近年は年齢相応にどつきが減り、テンションの緩いしゃべくり主体になっていた。
レツゴー正児
他
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