キートン山田の出身高校
キートン山田 タレント
- キートン山田卒業高校
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- 2219位 / 2233人中 タレント別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1945年10月25日生まれ
- 血液型
- A型
キートン 山田(キートン やまだ、1945年10月25日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。北海道三笠市(幌内地区)出身。リマックス所属。身長176cm。血液型はA型。本名及び旧芸名は山田 俊司(やまだ しゅんじ)。
1963年に北海道三笠高等学校卒業後、就職のため上京、建設会社に就職しサラリーマン生活を始めるが、同時に憧れだった俳優も目指して劇団に入る。サラリーマンと俳優の掛け持ちを4年間続けた後、退職して役者に専念するようになる。アルバイトをしながら役者生活をしていたが、アルバイト先のスナックの店主と知り合いで常連だった柴田秀勝から「声専門のプロダクションができるから」と紹介され、創立したばかりの青二プロダクションに預かりで所属となった(所属事務所はその後、ぷろだくしょんバオバブ→賢プロダクション→リマックスと変遷)。第二次アニメブームの昭和50年代(1970年代)には声優業が中心になったが、アニメブームの収束と共に声優の仕事もなくなり、妻からも転職を促されたり、安全なサラリーマン生活に戻ろうかとも考えたこともあった。生活のために日雇いのバイトや封筒貼りの内職などをしたが、それでも3人の子供を養いながらローン返済をすることは難しかったため、事務所や親族から借金をしていた[7]。また、電車賃を浮かすために当時住んでいた千葉県松戸市からスタジオのある浅草まで、徒歩で移動していたこともあった[8]。「カラオケの司会の仕事が一番つらかった。食べていくためには何でもやった。勉強になり無駄になってない。」と辛かった当時のことを回想している。
デビューから10数年間は本名の山田俊司で出演していたが、声優の仕事がほぼ無くなっていた時期に1時間番組のナレーションの仕事を受けた際に、「本格的なナレーションの経験はないが、ありのままりのままの自分で仕事に臨む」という思いの下[7]改名を決意。当初はプロダクションから「仕事に影響する」との理由で反対を受けたが、アルバイトや内職を全て辞め背水の陣を敷き裸一貫出直す覚悟[8]で1983年に[9]芸名を『キートン山田』に改名。芸名の由来は、当時読んだ本の影響で喜劇役者のバスター・キートンに肖ったもの[8]。その一方で、学生の頃に「聞いとんのか、山田!」と先生から何度も注意されたのが印象的で、「聞いとんのか山田」を縮めてこの芸名にしたとも語っている[10]。本人曰く、ナレーターの道を歩み始めたのはこの時から[7]。
1990年には、『ちびまる子ちゃん』のナレーションを担当。当初は番宣だけで、本編は別のナレーターが担当する予定だった[11]。しかし、原作者のさくらももこは、ナレーターのキャスティングには納得がいっておらず選考は難航していた。そんな中、自分が番宣を吹き込んだテープが当時ニューヨークにいたさくらの元に送られ、「この声としゃべりが欲しかった」ということで本編も担当することになった[8]。本作でのナレーションが「キートン節」[8]と呼ばれ代名詞となり、代表作[7]に数えられるようになる。
現在は声優活動の傍ら、1995年に創設した自らの劇団「劇団ふりぃすたいる」も主宰した。きっかけは、自身が講師を務める声優養成所で在校期間2年で卒業する生徒たちがどこかに所属できる人がおらず、過去の自分の経験もあって何とかしたいという気持ちが膨らみ、生徒たちの中から団員を募り結成された[12]。ふりぃすたいるは創立20周年記念公演を終えた2015年5月をもって解散し、同年7月3日にマンモス八木と二人で「きぃとん劇場」を創立した[13]。
また熱心な創価学会の信奉者としても知られ、創価学会高原支部の副支部長を務めている[8]。
若いころから「できれば東京に住みたくない」という気持ちが強く、1999年には静岡県伊東市に家を構えて生活しており、仕事の度に東京などへ出かけている[9][14]。
現在では、芸能活動以外に株式会社ペルソンが依頼代理となって講演活動も行っている[9]。
2014年、第8回声優アワード「功労賞」を受賞[15]。
大人の男性、ニヒルな皮肉屋役や冷酷な悪役を多くこなし、ナレーションも多い。特にアニメだけではどんどん新人に役を取られ、いずれ干されることを懸念し、ナレーションも出来る声優に絶対になることを望んでいた。それに伴い、「自分らしいナレーション」を確立させるべく、旅番組の中で落語を採り入れる。
『一休さん』における将軍様こと足利義満の笑い声は、当初台本では「あっはっはっは……」と記述されていたが、外見や公家という身分からあまりに不相応であったため、山田が「のっほっほっほっ…!」に差し替えた。
『ちびまる子ちゃん』での台詞「後半へつづく…」はCMに入る際にちょっとした間があったので、第25話「まるちゃん学校でお腹が痛くなる」の巻でアドリブで入れたところ、スタッフ・キャスト・作者に思いのほかうけて採用された[11][8]。同作品では、基本的に演者のアドリブが認められていないため珍しいケースだが、場面切り替え時に「翌日」と入れたりイントネーションを工夫するなどしている[7]。また、『ちびまる子ちゃん』ではナレーションだけではなく、本人役として登場したことが何度かある[16]。
2006年10月、自分が講師を務めていた声優学校の学生として知り合った、当時29歳のストリートミュージシャンをしていた女性と再婚した[17]。32歳差の年の差婚である。
趣味はマラソン。59歳の時にホノルルマラソンに初参加[14]し、以降も5回参加・完走しており、他のマラソン大会にも多数出場している[18][9]。
1998年以降の『ゲッターロボ』OVAシリーズで神隼人役を演じる内田直哉は、同じ事務所に所属していた。
※太字はメインキャラクター。
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